故宮博物館にて有田展

台湾故宮博物館にて
有田展が開催されています。



國際展 - 国立故宮博物院南部院区

唐・宋の時代から、日本人は中国の高温で焼成された陶磁器をたいへん好みました。技術と原料に限界があり、自分で焼成することができず、中国からの輸入に頼らざるを得なかったため、上流階級の人々の使用にのみ供されました。桃山時代末期の1592 年、豊臣秀吉(1537-1598)が朝鮮出兵を行って、製磁技術に通じた朝鮮の陶工を連れ帰り、陶磁器の輸入に頼っていた状況はついに変化を迎えました。朝鮮の陶工は現在の佐賀県有田町で泉山陶石を発見し、原料の問題を解決しました。1610 年代、有田町で日本初の磁器が作られました。以降30~40年の間、有田の製陶技術は日増しに向上して好評を博するとともに、付近の伊万里港を中継港として販売されるようにもなり、「伊万里焼」の名は瞬く間に知れ渡りました。17世紀半ば、ちょうど明・清にあたる時代、伊万里焼は中国製陶器の輸出が衰えた機会に乗じて、国際貿易上に突然現れ、オランダ東インド会社を経て販売され、ヨーロッパで破竹の勢いを見せる人気商品となりました。遥か東からやって来た伊万里焼は、ヨーロッパの王侯貴族の間で争って買われる珍しいおもちゃや食器であるだけでなく、宮殿の装飾品や外交使節への重要な贈呈品にもなりました。本展示では大阪市立東洋陶磁美術館の収蔵品から、計161点の作品をご紹介します。そのうち主なものは17~18世紀にヨーロッパへ輸出された伊万里焼、ならびに「伊万里焼」、「富を表す道具」、「宴席用食器」、「宮殿装飾品」など4つのセクションで、伊万里焼の特色、ヨーロッパでの用途をご紹介いたします。5つめのセクション「国使贈呈品」では、清宮旧蔵の13点の伊万里焼を展示し、異なる収蔵の背景によって、大航海時代の利益獲得競争下における伊万里焼の、百余年にわたる歴史の華やかさを表現しました。伊万里焼は当初、朝鮮陶工の技術を踏襲し、素朴なスタイルの唐津焼等を生産していました。技術が安定した後、染付磁器の生産を始めるとともに、画譜と実物を通して中国景徳鎮の磁器紋様を模倣しました。そのうち最も有名なものは、ヨーロッパで高い人気を博した「カラック様式」ですが、中国のものを直接模倣した例もあります。中国の磁器と肩を並べられるよう、有田の陶工も支釘などの方法を使って品質を高めるとともに、長崎に住む中国商人を通して五彩手技術を習得し、作品に華やかさを添えました。1670

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